近鉄本社の経営悪化と1リーグを巡る球界の思惑
1989/10/5〜2004/1/23

1989年10月5日
近鉄バファローズオーナー佐伯勇氏肝不全のため逝去。86歳。
1989年11月8日
上山善紀氏オーナーに就任
1993年3月29日
読売新聞渡邉恒雄社長(当時、現読売新聞グループ会長、巨人軍オーナー)が、フリーエージェント制(FA)の導入をしなければ、新リーグ結成と宣言。
1993年7月13日
これに対抗してロッテ・重光オーナー代行がオーナー会議で「12球団による1リーグ制」を提案
1993年10月8日
FA制度、労組選手会と機構側が調印
1993年11月2日
フリーエージェント(FA)制度発効
1994年1月18日
オーナー懇談会でパ・リーグが1リーグ制移行を要望
1997年2月20日
大阪ドーム竣工
1999年4月1日
「近鉄バファローズ」は「大阪近鉄バファローズ」に改称。
2000年11月28日
近鉄バファローズに外資参入の噂が出るマードック氏が触手?近鉄身売りも
2001年3月13日
大阪近鉄が大リーグのロサンゼルス・ドジャースと業務提携を締結。
「株式会社am/pmジャパン」とスポンサー契約
2002年5月31日
バファローズ、オーナーを田代会長に交代
2002年6月28日
近鉄本社、経営再建計画を発表
1/連結で1兆7475億円に上る有利子負債を、2005年度までに3000億円削減
2/駅業務を分社化して、社員を現在の9100人から2005年には8500人体制
3/3期連続で赤字の企業については、会社の解散などの整理を行うとともに、沿線外企業などを中心に他社への経営譲渡や解散を行う。整理対象は20社程度。
2002年9月3日
株式の一部売却、アイフルなどと共同経営へ
2002年9月5日
近鉄が運営会社名から「近鉄」はずし球団株売却準備へ
2002年9月29日
藤井寺球場閉鎖へ、Bu二軍はりんくうタウン新球場へ移転か?
2002年10月5日
花園ラグビー場、東大阪市に支援要請
2002年11月4日
近鉄株価、300円を割るその後も下げ止まらず。
2002年11月22日
近鉄9月期連結赤字大幅増
2002年11月25日
近鉄本社・東京三菱キャッシュワンと提携
バファローズ、消費者金融アコムとスポンサー契約
2002年12月21日
中村紀洋内野手、近鉄 6年総額39億円FA残留
2002年12月27日
近畿日本ツーリストは、05年度までの経営改善計画を発表、正社員1000人削減
近鉄本社、50歳以上の従業員の人件費削減を実施
2003年1月1日
「株式会社大阪近鉄バファローズ」は「株式会社大阪バファローズ」に社名を変更
2003年3月14日
近鉄本社、山口新社長内定
2003年3月25日
近鉄本社、早期退職などに3223人
2003年4月10日
バファローズ二軍は花園ラグビー場隣接地へ移転か
2003年4月12日
銀座近鉄ビル、グッチに売却
2003年5月31日
OSK日本歌劇団への支援打ち切り
2003年7月5日
近鉄グループ・中堅ゼネコン大日本土木が民事再生法申請、負債2700億円
2003年9月10日
ダイエーが2004年オフにも球団売却を決める。読売・渡邉オーナーは「ハゲタカファンドへの売却は許さん」とし、1リーグ制移行も視野に入れると発言。
2003年11月4日
ダイエー・小久保選手が読売へ疑念の無償移籍
2003年12月9日
会見で山口昌紀近鉄本社社長が「保有メリットが薄らいできた」と話し、球団経営からの撤退の可能性を示唆
2004年1月6日
大阪ドーム広告からりそな銀行が撤退
2004年1月23日
あやめ池遊園地を6月閉鎖、近鉄興業は清算へ
【解説】
 今日、プロ野球球団はセントラルの一部の人気球団を除いて一概に経営環境は厳しいと言わざるを得ません。巨人戦の放送権料収入を見込めないパリーグではその事情はより深刻で、リーグ一の人気を誇るダイエーでさえ累積赤字約70億円を抱え本社からの広告宣伝費を得て、何とか運営しているのが実情です。
 営業地域が限定され本業への広告宣伝効果の薄い私鉄各社は相次いで球団経営から撤退してきました。80年代後半から関西私鉄大手の阪急・南海が球団経営から相次いで撤退するなか、近鉄が今日まで球団経営を継続してきたのは、日本一の私鉄としての本業での手堅い収益と近鉄球団とパリーグの発展に情熱を注いできた近鉄グループ総帥・故・佐伯勇オーナー(89年に逝去)の存在があったからこそでした。
 一方、93年読売・渡辺オーナーと西武・堤オーナーがダイエーとともに6球団で「新リーグ構想」を提唱したことが1リーグ構想の始まりでした。西武・堤オーナーにしてみればパリーグでの苦しい経営状況を打破するために巨人戦の放映権料と全国放送による人気の拡大を獲ることが目的でした。時を同じくして93年にFA制導入。1球団2人を上限に、大学生、社会人の逆指名を導入したのも93年。FA制も逆指名制も、「選手側の選択権を認める」建前でしたが、現実には巨人・渡辺オーナーを中心とする「新リーグ構想」の影を抜きには語れません。他球団、特に不人気なチームは、球界から排除される恐れから、明らかに巨人有利のルール変更にもかかわらず、さしたる抵抗もなく導入に至りました。94年にオーナー懇談会でパ・リーグが1リーグ制移行を要望した12球団の1リーグ制に渡辺オーナーが賛同するなど、この「1リーグ」という名の脅しはことある毎に渡辺オーナーの口から飛び出しました。
 93年のFA制導入を契機に90年代を通して選手年俸が急激に高騰する一方で景気の減退による広告や放送権料の減少がプロ野球球団の経営を更に悪化させました。近鉄本社はバブル期のホテルやレジャー施設など国内外の不動産投資に失敗、その後の長引く不景気でグループ全体の有利子負債は1兆7475億円にも膨らみ本社の経営を圧迫することになりました。一方、近鉄球団は入場者数の減少、年俸の高騰、年間6億円に上る大阪ドーム(97年に移転)の使用料などが経営を圧迫していました。近鉄球団は00年メディア王マードック氏による資本参加が報じられるなどリストラの進む近鉄本社の赤字負担の軽減の道を探ってきました。02年近鉄グループ経営再建計画が発表されグループ各社の厳しいリストラが断行される中で今まで「聖域」とされた球団の赤字に対しても今まで以上に厳しい目が向けられるようになりました。消費者金融大手・アイフルとの共同経営、アコムへの売却が報じられるなど近鉄球団の身売りの噂は絶えることはありませんでした。
 また、この中で外資参入や消費者金融とのスポンサー契約などに対し尽く否定的な見解を示してきたのは読売・渡辺オーナーでした。

最後の切り札・命名権売却構想の頓挫
2004/1/30-2004/2/27

2004年1月30日
オーナー会議を実施。この時は球団経営に関する議案はなし
2004年1月31日
(朝日・夕刊)バファローズ命名権の売却を検討していることを報じる。
午後6時 永井充球団社長が、会見で命名権を35億円程度で売り出すことを発表。
午後10時 読売・渡邉オーナーが反発。他球団も同調
2004年2月2日
永井球団社長球団名売却断念なら大阪ドーム撤退。不退転の決意。
2004年2月4日
近鉄劇場閉鎖
コミッショナー近鉄命名権売却の撤回求める。「売却却下」のコミッショナー裁定を示唆。
2004年2月5日
近鉄 命名権売却を撤回。永井社長は「球団の売却は全く考えていません」と断言。
2004年2月16日
バファローズ、永井社長が退任、後任は小林専務が昇格
2004年2月27日
近鉄・田代オーナーコミッショナーに謝罪。根来コミッショナーは「あくまで雑談ですよ。何もありません」
【解説】
 03年ダイエーの福岡事業売却問題が大詰めを迎えると、ドーム・ホテル・球団の3点セットでの外資への売却を求める銀行団に対し、巨人・渡辺オーナーは外資企業などによる投機目的での買収には、球団解散という強硬手段を用いてもでも阻止すると明言、球団削減と将来的な新リーグ構想までチラつかせてダイエーから主導権を奪ってしまいました。その後、オーナー会議で本社の球団支援、さらに野球機構の承認なしに球団を売却しないことを約束させるとともに、中内オーナー、高塚社長体制の維持を各球団に向けて確認、巨人・渡辺オーナーはこれを評価する形で現体制の堅持を承認しましたが、その直後ダイエーの主砲・小久保選手の前代未聞の巨人への無償トレードが行われ球界に大きな疑念を残しました。
 一方、山口近鉄本社社長が「保有メリットが薄らいできた」と話し、球団経営からの撤退の可能性を示唆するなど相変わらず近鉄球団には球団売却の噂は絶えませんでした。年が明け1月30日のオーナー会議では球団経営に関する議案はありませんでしたが、翌日、近鉄球団が命名権の売却を検討していると報じられました。これを受け永井球団社長が命名権を35億円で売り出すと発表、売却先には関西の大手飲料メーカーが有力と噂されました。これに対し巨人・渡辺オーナーは同日、外資や消費者金融の参入に繋がる命名権売却は野球協約違反と猛烈に批判し、断固阻止する姿勢を見せると、翌日西武・堤オーナーが近鉄を批判するコメントを発表するなど他球団もこれに追従する姿勢を見せました。その後、永井球団社長は、命名権売却が認められなければ球団の赤字解消の道は閉ざされるとして藤井寺への移転の可能性を示し命名権売却への不退転の決意を見せました。しかし、コミッショナーが現状では他球団の理解が得られないとし、近鉄が撤回に応じない場合は「売却却下」のコミッショナー裁定を下すと小林球団代表に伝え、事実上命名権売却の道が閉ざされると翌日命名権売却を白紙撤回、コストカッターとして球団の赤字解消の期待を背負った永井球団社長はこの責任をとって志半ばにして退任、小林専務が後任に昇格しました。

球団合併の発覚と噴出する球界再編への思惑
2004/3/7-2004/6/26

2004年3月7日
阪神・久万オーナー「12球団は多い。8〜10球団が理想」
2004年5月初旬
オリックスと近鉄が球団合併合意
2004年5月25日
岩田和弘近鉄本社専務が、決算報告の席で球団が年間40億円近い赤字を出していると明らかに「聖域を設けずに、あらゆる施策を検討したい」と球団の売却を視野に入れていることを示唆
2004年6月12日
29日の近鉄本社の株主総会までに、球団存続に関する重大発表を行う可能性が報じられる。
2004年6月13日
山口近鉄本社社長が近鉄とオリックスを合併させることで基本合意したと発表。
阪神・久万オーナーは1リーグ制OK「10球団が許容範囲」
2004年6月14日
ダイエー球団社長は身売り、合併説を完全否定
2004年6月15日
来季は2リーグ制を存続…読売・渡辺オーナーが示唆
2004年6月17日
パ緊急理事会、西武が1リーグ制支持
2004年6月18日
読売・渡辺オーナーが「パでもう一組合併が1リーグへの条件」と具体案を示す
2004年6月19日
日本ハム・大社球団会長「協約改正されれば」と合併容認発言。
2004年6月21日
プロ野球実行委員会
合併の経過の説明と要望
→大筋で承認することを確認
合併に付随する要望
1/参加料 協約改正が必要とした上で了承する方向性を示す。
2/保護地域 大阪と兵庫(Wフランチャイズ)
→横浜と阪神から強い反発。継続審議。
3/選手配分 70人プラス40人の計110人を新球団で保有したい→継続審議
4/協約関係 根来コミッショナーが自ら協約改正の原案をつくることを提案→了承。
2004年6月22日
シュミレーションによりパ5球団なら壊滅とロッテ・重光代行は1リーグ制賛成
2004年6月23日
西武・星野代表「来年も2リーグなら大変なことになる」と1リーグ反対派を牽制
2004年6月24日
読売・渡辺オーナー最後通告!来季1リーグ反対なら賛成派で新リーグ結成と発言
2004年6月25日
ヤクルト・多菊球団社長が1リーグ制支持を初表明
2004年6月26日
日本ハム・小嶋オーナー代行も1リーグ制支持を示唆

球団合併の既成事実化と第二の合併
2004/6/29-2004/7/7

2004年6月29日
「ライブドア」が近鉄買収に名乗りとの報道。
2004年6月30日
ライブドア・堀江社長が会見。512億円用意「大阪もバファローズも残す」
読売・渡辺オーナー「もう決着済み。知らない人が入るわけにはいかんだろ。ボクも知らないような人が…」
近鉄・山口社長が怒りの買収否定「もう断ったんや!!」
2004年7月1日
パ・リーグ臨時理事会
提案された具体案
1/株式比率 オリックスが80%、近鉄が20%を保有。第3者による株式保有はない。
2/経営主体 オリックスが務め、オーナーは宮内義彦オリックス・オーナーが就任する見込み。
3/保護地域 当面は兵庫及び大阪の2カ所を認めてもらいたい。ただ「これは現行野球協約では認められていないので、今後の協議に従う」(小泉社長)
4/新球団名 近鉄側は「オリックス・バファローズ」を要望。ただ、オリックス側は「ブルーウエーブ」にこだわりもあり、継続協議。
5/選手処遇 プロテクト選手は28人。この他はウエーバードラフトを行う。
6/参加料 新規参入ではないという判断で、30億円の参加料は免除を要望する。
7/新人選択会議 新球団としてドラフト会議に臨む。
2004年7月2日
12球団代表者会議
セリーグから指摘された問題点
1/選手処遇 プロテクト28名は阪神野崎代表から「良いとこ穫り」との批判。セ各球団は阪神に同調。
2/経営主体 新会社の形態の詳細の早期決定を促す意見がセリーグから出される。
3/保護地域 Wフランチャイズに阪神より批判。「阪神さんの意向に同感との意見がありました」(豊蔵会長)とセが一致団結。
4/新球団名 新球団名に関しては当事者同士の話し合いに一任。
5/支配下選手 現行70人までとされている支配下選手数について、野球協約五十七条の二を適用し、定められた期間、80人に拡大することで合意。
>週明けには再び12球団による会議を招集
2004年7月5日
日本野球機構と選手会による協議交渉委員会
選手会からの提案
1/近鉄・オリックスの合併問題について両球団から説明。「(両球団から)ファンのことも、選手のことも考え(合併が)一番いい方法という説明を受けましたが、納得はできませんでした」古田会長
2/ 選手会は特別委員会の招集
「選手契約にかかわる問題」として特別委員会の招集を要望。選手会側はこの動きに対しても特別委員会が招集されずに合併が承認された場合は、コミッショナーにまず提訴。それが不調に終わった場合には、法的措置にまで及ぶことも検討している。さらにはストライキなど争議権に含みを持たせる。
3/ 命名権(ネーミングライツ)売却を認めることでの合併1年先送り案を主張。要求が拒否された場合は法的措置、さらにはストライキの可能性まで示唆
4/「もし年俸の高騰が問題ならば、それ(年俸抑制)について話し合う用意もある」と選手会関係者。選手たちも自ら痛みを伴い、血を流す覚悟。
2004年7月6日
ロッテ・重光オーナーが「第二の合併」肯定発言
2004年7月7日
プロ野球オーナー会議
◆西武・堤オーナーの発言

・パリーグでもう一組の合併が進んでいることを表明・1リーグ制を強く要望
◆近鉄・オリックスの合併を了承
・近鉄、オリックスの合併が大筋で了承。
・合併具体案も了承。
1/3年間の期限付きで合併球団に大阪府と兵庫県の地域権を認め、阪神も大阪、神戸のWフランチャイズを認める
2/優先保有(プロテクト)枠は25人
3/選手配分に対応するため支配下選手枠の70人から80人に拡大
4/球団譲渡に伴う参加料30億円の免除
→球団名など細部を詰め、9月8日の臨時オーナー会議で正式に承認。
◆渡辺オーナーの私見
1/球宴を東西対抗形式として実施。
2/リーグ戦とは別に東西5チームずつに分かれて総当たり戦
3/東西の勝者が戦うカップ戦の開催
4/リーグ覇者とカップ戦の勝者が戦う日本シリーズ
→前後期制導入の可能性も示唆
・「新日本プロ野球」構想
2軍、3軍のレベルでアマチュアと一緒になって新しいタイプのゲームを展開する →マイナー契約の導入も検討

合併反対運動の隆盛と1リーグ反対派の巻き返し
2004/7/7-2004/8/10

2004年7月9日
12球団代表選手会長意見交換会
◇古田会長「何をいっても門前払い。聞く耳も持っていない。そういうことが続けば誰だって納得できませんよ」
1/合併問題を議題とする野球協約第19条の特別委員会の開催について球団側からは何の説明なし。
2/合併を1年凍結し、その間に球界再編のあり方について十分な議論を尽くすという提案については、今後の検討課題として取り上げることさえも難しい。
3/今年1月の大阪近鉄が命名権売買になぜ11球団は反対したのか?→「コミッショナーに聞いてくれ」
4/議論をオープンにし、合併が球界再編について有識者などを交えた第三者機関である「合併問題検討委員会(仮称)」設置し、検討すべき→検討するとの回答すら得られず。
5/ストも含めた今後の選手会の対応策についての議論。
6/西武・堤オーナーの「三軍制」の提案についてアマチュア野球も含めた野球のすそ野を広げていくための非常に建設的な提案だと評価するがその為に「一軍」を12球団から10球団に減らす理由は見あたらない。
2004年7月10日
選手会臨時大会
選手会での決議事項
1/合併を1年凍結し議論・交渉を1年かけて行う→その結果合併以外の選択肢が現実的でないと判断された場合に限り、選手会は合併を承認する。
2/合併承認に至る手続としては、野球協約第19条の特別委員会を開催すべき。開催せずに合併を決定するときは、決定手続の違法を争うため、野球協約第188条のコミッショナーへの提訴などの法的手段を講じる。
3/あらゆる手段を尽くしても来シーズンからの合併が強行されようとした場合、最終手段として、ファンへの配慮を十分行った上でストライキを行う場合がありうること。
4/選手の年俸高騰への対応として、ぜいたく税(Luxury Tax)の導入、高額年俸選手についての減額制限の緩和なども積極的に検討。
5/同様の問題再発を防ぐため一部の球団のみに戦力と資金が集中している現行制度を見直すこと。(別紙参照)その他テレビ放映権の一括管理方式、球団の経営状態をチェックする経営諮問方式などを提案。
6/オープンな議論の為の「合併問題検討委員会(仮称)」の設置を要求。
7/オールスターゲームにて出場選手が、「ファンも選手もプロ野球界の一員です」というメッセージのもとに、12球団の球団カラーを織り込んだミサンガを着用すること。
2004年7月11日
オリックス選手会がファンの署名活動を支援することなどを決定
2004年7月12日
ライブドアが『大阪発・新しい球団経営に関する提案書』(pdf:299kb)を発表
2004年7月15日
セ5球団で反巨同盟!阪神・野崎球団社長が“宣戦布告”
京都総評が読売・渡辺オーナーに対し発言撤回と謝罪要求
2004年7月16日
近鉄選手会が大阪ドームで合併反対の署名活動を開始。(20分/約1200名様分)
広島・松田オーナー 阪神と協調姿勢。中日・西川球団社長2リーグ制堅持を改めて明言。
三洋電機の井植敏会長「オールスターはセ・パでやるから面白い。東西対抗ではスポンサーをする気になれんね」と発言。
読売・渡辺オーナーが小泉首相に「おれは苦しんでいる」と激白
2004年7月17日
阪神・野崎社長「1リーグありきの合併は絶対反対」
2004年7月23日
阪神・野崎社長、読売・土井誠球団社長と会談。読売側『野崎私案』を一蹴。
阪神・久万オーナーと読売・渡辺オーナー間での1リーグ制への密約の存在が明らかに。
中日選手会がナゴヤドームで合併反対の署名活動を開始。(30分/502名様分)
2004年7月24日
ロッテ・瀬戸山球団代表が「野崎私案」に反対姿勢
2004年7月25日
横浜選手会が横浜スタジアムで合併反対の署名活動を開始。(30分/936名様分)
2004年7月26日
プロ野球実行委員会
来季10球団1リーグ制を前提に議論(1リーグ既成事実化)
1/合併の進捗状況 両球団で基本合併案がまとまる。9/8オーナー会議を経て正式発表。
2/第二の合併 パ側は改めて合併が「進行中である」と強調。具体名は明かさず。
3/日本シリーズ・ASの代替案 読売・三山球団代表が具体案を示す
・日本シリーズ代替案→
東西対抗
・オールスター代替案→
a/日本、韓国、台湾、中国の代表を集めた『アジアリーグ』
b/ペナント勝者と東西対抗カップ戦覇者による『天皇杯』
c/アジア4カ国の国内覇者による『アジアシリーズ』
2004年7月27日
ヤクルト選手会が神宮球場で合併反対の署名活動を開始。(30分/約300名様分)
2004年7月28日
阪神選手会が甲子園球場で合併反対の署名活動。(約30分/約443名様分)
選手会と野球機構の事務折衝
◆選手会要求事項への野球機構の回答
1/球団の命名権売却による合併の1年凍結、第三者諮問機関の設置→拒否
2/特別委員会の招集→先送り。召集権者の豊蔵会長は事実上の見送り発言。
全労連が定期大会で選手会全面支援を表明。連合も全面支援。
2004年7月29日
読売選手会が東京ドームで合併反対の署名活動。(30分/672名様分)
ロッテがダイエーに合併打診と報じられる。
2004年7月31日
ロッテ選手会が千葉マリンスタジアムで合併反対の署名活動を開始。(90分/1860名様分)
オリックス選手会がヤフーBBスタジアムで合併反対の署名活動を開始。(15分/257名様分)
2004年8月1日
ダイエー選手会が福岡ドームで合併反対の署名活動。(60分/1266名様分)
「プロ野球球団合併反対の会」都内で300人デモ行進
2004年8月2日
名古屋市長が合併反対…広島県知事は球団存続を支援
西武選手会が西武ドームで合併反対の署名活動を開始。(30分/650名様分)
選手会がオリックス、近鉄に合併中止を求める警告書
2004年8月3日
日本ハム選手会が札幌ドームで合併反対の署名活動開始。(90分/932名様分)
2004年8月4日
国会議員有志で懇談会発足…早急な1リーグ制移行に反対
読売・渡辺オーナーあてに、白い粉の入った手紙が送られていたことが判明
2004年8月5日
広島選手会が広島市民で合併反対の署名活動。(80分/2834名様分)
2004年8月9日
ロッテの合併申し入れをダイエーが断っていたことが判明と報じられる
2004年8月10日
オリックスと近鉄が合併基本合意書に調印
プロ野球選手会が98%の賛成票でストライキ権を確立

衝撃のオーナー辞任と迷走する球界再編
2004/8/13-2004/8/27

2004年8月13日
巨人・渡辺オーナー辞任。スカウト活動違反行為で引責
2004年8月14日
ロッテ・瀬戸山球団代表「4(球団)になって1リーグ」とあくまで10球団1リーグにこだわる姿勢
2004年8月16日
12球団代表者会議
1/第二の合併 提示できず。ロッテ・瀬戸山球団代表が「粛々と進めている」
→読売を除くセ5球団から「間に合わない」と強い反発も
2/議決権のない協議交渉委員会開催申し入れ
→松原事務局長・受け入れの方向
2004年8月19日
ライブドア、近鉄買収失敗なら新球団設立、新規参入申請へ
ロッテ、ダイエーと合併交渉難航。オーナー会議延期を申し入れ。
2004年8月20日
ロッテ・瀬戸山代表がライブドア新規参入に難色。
連合が選手会支援を決定
ダイエーが再建計画修正案を主力3行に提出
2004年8月22日
広島・松田オーナーが新規参入歓迎意向
2004年8月23日
12球団代表者会議
1/第二の合併 またも具体案提示されず。「深く静かなところで進んでいる」と西武・星野球団代表
→読売を除くセ5球団から8/30がリミット。パ側は「球団削減に全力を尽くす」
2/「特別委員会」開催見送り決定。
→古田選手会長ストも辞さず。
2004年8月24日
選手会が「特別委員会開催見送り」に抗議の回答文書送付
2004年8月26日
近鉄本社株主2人、球団統合差し止めの仮処分を申請
2004年8月27日
選手会が合併差し止め仮処分を東京地裁へ申請
来季も2リーグ制維持を前提に議論…根来コミッショナー

第二の合併推進へ球界再編推進派の最後の賭け
2004/8/27-2004/9/3

2004年8月28日
読売・渡辺前オーナーが5球団ずつ2リーグを支持
2004年8月29日
大阪市内で300人のデモ行進。合併反対などを訴え
2004年8月30日
東京地裁が正式な仮処分前に合併承認しないようNPBに申し入れ。
プロ野球実行委員会
1/第二の合併 またも具体案提示されず。「もう少し待って。一生懸命進めてます」と西武・星野球団代表
→読売を除くセ5球団から批判続出。 「いい加減にしてください。大変迷惑しています。」中日・伊藤球団代表
2/阪神から再編の1年先送り要望。
3/地裁の申し入れを受け入れ合併承認は先送り
4/9・6臨時実行委にスト対応策を持ち寄ること。
2004年8月31日
読売・渡辺前オーナー「(第二の合併の)組み合わせは違ってくる」と発言
2004年9月1日
小池パ会長が「パは2リーグ制を拒否すべきではない」と発言。
2004年9月2日
「あくまで自主再建」ダイエー本社・高木社長。球団も継続保有と明言。
パ・緊急理事会
→パが急転『5・5の2リーグ制』支持
「5・5がベスト、というか1番だね。話し合いの中で2リーグ制の良さが分かってきた」
 強硬に「不退転の決意で1リーグ」と訴えてきたロッテ・瀬戸山代表も心変わり 。他球団も同様に支持。
◆パ・リーグが望む2リーグでの球界再編
1/東西シャッフルしての「5・5の2リーグ」→150試合制(交流試合は30試合)東地区は巨人戦主催12試合+阪神戦3試合。西地区は阪神戦主催12試合+巨人戦3試合
2/巨人がパに移籍しての「5・5または5・6の2リーグ」→巨人戦主催15試合
◆パ・リーグが望む従来の1リーグ案
10球団での1リーグ→巨人戦主催8試合。阪神戦主催8試合。
2004年9月3日
巨人・渡辺前オーナーがパ移籍発言!セ各球団は猛反発
久万オーナーが巨人セ残留を懇願
東京地裁が合併差し止め仮処分申請却下

焦点はストライキと新規参入問題へ
2004/9/4-2004/9/29

2004年9月4日
MLB選手会が選手会全面支援表明と報道
2004年9月6日
選手会臨時運営委員会
・近鉄・礒辺会長他パ2球団選手会長 「無期限スト」を主張。
・中日・井端会長 「(日本シリーズを視野に入れ)無期限は困る」
・広島・西山会長、ヤクルト・真中会長 「なるべくストは避けたい。やるなら短めで」
→オリックス、近鉄の合併の1年間凍結が10日午後5時までに認められない場合、今週末の11、12日のスト突入を決めた(ストはその後も9月中の土日に実施 )
・古田選手会会長「ファンの方に迷惑がかからず、一番分かりやすい方法」
「違法ストだ!」決行なら損害賠償請求へ−経営者側
2004年9月8日
西武・堤オーナー「西武とロッテの合併はない」と断言。
2004年9月9日
協議交渉委員会、結論に至らず−10日も交渉を継続へ
2004年9月10日
協議交渉委員会
◆暫定合意→11日・12日のスト回避
1/NPBは6・6と6・5の場合の具体的分析を行った上で速やかに回答する
2/NPBは加盟料・参加料を撤廃と預かり保証金制度を導入等を検討。
→新規参入球団の加盟の促進を積極的に検討。
3/来季はセ・リーグ6球団以上、パ・リーグ5球団以上とすることを確約
4/交渉を継続するため選手会は9月11日(土)、12日(日)のストライキは実施しない
5/プロ野球構造改革協議会(仮称)の設置
6/協調が整えば来週末のストも実施しない。
2004年9月10日
NPBが選手会と異なる認識・球団保有が新規参入条件
2004年9月15日
楽天「プロ野球への新規参入検討を開始した段階」との声明を発表
2004年9月16日
ライブドア・日本プロ野球組織に参加申請。本拠地は仙台

「選手会がスト決行なら辞任」とコミッショナー

2004年9月17日
協議交渉委員会
◆交渉決裂→18日・19日のスト決行
1/オリックスと近鉄の合併延期→早期断念
2/近鉄選手の自由契約(プロテクト撤廃)→ほとんど議論無し
3/来季の新規参入による「セ6・パ6」の12球団2リーグ制の維持
→新規参入に係る「文言」が最大の争点
・NPB側:「最大限の誠意を持って審査する」
・選手会側:「05年から」「最大限の努力」この2点を合意文書に盛り込むよう要求。
根来コミッショナーが辞任表明
2004年9月19日
選手会が各地でスト代替イベントを実施
選手会が都内で「ファンと選手の集い」を緊急開催
2004年9月21日
プロ野球実行委員会
◆経営者が22日からの協議交渉委員会で示す譲歩案の確認
1/新規参入時期→明示せず
2/新規参入企業による加盟申請→受理、公正かつ適正に審査
3/加盟料・参加料→預かり保証金25億円(10年後総返還)、入会金5億円に改正
4/スト代替試合の開催→選手会と協議
2004年9月22日
楽天が24日に加盟申請と記者会見。本拠地は仙台。
経営者側が一転「来季12球団」歓迎の意向…スト衝撃大きく
2004年9月23日

協議交渉委員会
合意→スト中止
<労使交渉での合意事項>
1/新規参入球団への対応→機構側は「審査小委員会」を設置。速やかに新規参入資格の取得に関する審査を進める。
→審査は可能な限り透明化(公開)を図る。
2/ 加盟料、参加料→撤廃。預かり保証金制度を適用。(金額・返還時期の正式決定は先送り)
3/新規参入球団の戦力均衡策→参入球団は分配ドラフトへ参加できる。既存球団は参入球団との戦力均衡を図るために協力する。
4/ 「プロ野球構造改革協議会」(仮称)の設置→1年をかけドラフト改革、エクスパンション(拡張)ドラフト制度の導入、選手年俸の減額制限の緩和などを協議

5/損害賠償→請求せず
6/代替試合→実施せず。シーズンオフに何らかの代替イベントで完全和解とする。(その後12球団東西対抗開催決定)

2004年9月24日
楽天・日本プロ野球組織に参加申請。本拠地は仙台
近鉄・本拠地最終戦にファン48、000人も・・・ファンに対する説明は無し。
2004年9月27日
近鉄最終戦(対オリックス)。ブルーウェーブの名も最後・・・。
プロ野球実行委員会
1/代替試合 セは138試合、パは133試合で全日程を終了。損害賠償については留保。
2/審査小委員会 週2回のペースで開催。現地調査やヒアリングなどは報道陣に公開。
→11月2日のオーナー会議で合否が決まる。
3/加盟参加料 預かり保証金25億円(10年間球団を維持した後に返還)、入会手続き金5億円(内4億円は野球振興基金)
4/交流試合 交流試合はホーム・ビジター各3試合、計36試合。
5/分配ドラフト 新規参入球団が決定した場合、合併に伴う分配ドラフトに、既存球団は参加せず。
6/補強 新規参入球団が決定した場合、オリックス、近鉄の統合球団は、新人ドラフト会議自由獲得枠から参加できる。来年1月までのトレード凍結も解除。
7/支配下選手 統合球団は80人、既存球団と新規参入球団は70人とする。
2004年9月29日
臨時オーナー会議
◆実行委員会の決定事項の承認
その他/
・辞意表明の根来コミッショナーを慰留。
・「プロ野球有識者会議(仮称)」の設置、野球協約の改正。
・ロッテ・重光オーナー代行は1リーグ制に未練